知人が亡くなったと報を受けました。
去年(2014年)10月初旬のことだったそうです。

オールドタイムを演奏する彼女で、フィドルを弾いていました。
オールドタイムは、ギター、バンジョー、ベース、フィドルなどの楽器で演奏されるアメリカンフォークソングです。

もっとも、フェスで出演した時の写真を見せてもらったことがあるくらいで、演奏の場で聴く機会はありませんでした。

難病と伺っていました。

きっとおそらく今頃は、
キリストの船に乗って、バンド演奏していることでしょう。
(仏教徒かもしれませんが・・・・)

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人が亡くなるとはどういうことか、改めて考えます。

その人は目の前からいなくなった。
家族や親しく交際していた人たちは、喪失感を感じます。

でも、本当にいなくなったのでしょうか。

生命は永遠だといいます。
ここの世の命は、束の間の形だといいます。
長い時間の中で、・・・・・・

仮にとしましょう。
命には、時間も空間もないともいいます。
ただ、あるだけだとも。

としたら、今この時代で、この場所で、
出会えたことは奇跡です。

それは、意味があることかもしれないし、
意味がないことかもしれない。

おそらく何か意味があって出会ったのではないか、と思います。

出会って、話せたことに感謝です。
あの世があるかどうかわからないけれど、
あっちに行っても知り合いがいるというのは力強いことです。

おそらく彼女は、
向こうの世界で、すごいミュージシャンと一緒にセッションをしていることでしょう。

そのうち、聞かせてもらえることでしょう。

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「今死んだとしたら、人生を後悔しませんか?」

そんな、人を追い込むことは聞きません。
それに「後悔なし」などと言える人は、一握りもいないことでしょう。

でも、自分に問いかけることは許しましょう。

彼女は、やり残したことは、やはりたくさんあったことでしょう。
それでも、満足だった、
今は思いのままフィドルを演奏して音楽を楽しんでいる、
と思いたい。

喪失感とともに、
今まで自分の領域でなかったところまで世界が広がったようにも感じています。
ありがとう。
次に会った時には、よろしく。