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「母も木から落ちる」

 いや、事実このことが起こって、僕の予定が大幅にズレました。

 僕の予定のことはどうでもいいのですが、
 問題は、母が木から落ちたことです。

 最初に安心材料を。
 母は木から落ちましたが、骨は全く大丈夫でした。打ち身だけだったそうです。
 さすがに痛がっていて、落ちた日には弟の車で病院に行き、
 シップと痛み止めの薬しか出してくれないと言って文句を言っています。

 疑問を持たれそうなことを先に書きます。

  ・いくつ?:70代半ばです。
  ・何やっている人?:自家消費用の農業と縫製工場への勤めをしています。
  ・どこで?:うちの田んぼ脇の木です。
  ・何の木?:ハンノキです。
  ・なぜ登った?:枝葉が伸びすぎていて、弟に来週切ってもらうために、
        その前段階できれいにしておきたかったのだそうです。
  ・なぜ落ちた?:梯子の上でフラッとして、気づいたら落ちている途中だった
        そうです。
  ・どうやって助けを呼んだ?:自転車に乗って家に帰ってきて、
        その後、一緒に住んでいる弟に電話をかけて医者に
        連れて行ってくれるように頼んだそうです。
  ・その後大丈夫?:壁や棚を持ちながら伝え歩きできるので、
        トイレや食事は大丈夫だそうです?
  ・困っていらっしゃらない?:痛いのと、食が細くなったことだそうです。
        お風呂はちょっと怖くて入っていないそうです。
  ・食事は?:弟のかみさん、親戚、近所の人たちがおかずをもってきてくれている
        そうです。
        食べきれないほど量が多いし、揚げ物が多いので、困ってると言っ
        ていました。
  ・稲刈りとかは済んでます?:稲刈りは済んでいます。
        庭の木の柿の実取りも、もう一人の弟に頼んで済んでいるそうです。

 こんな機会でもないと、盆・正月以外は実家に戻らないので、喜んでくれていました。

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 実家に戻ったのにも理由があります。

 母が木から落ちて1週間後のこと。
 骨が折れていない状況で
 顔を見せたところで症状は変わらないし、
 「実家に戻って親孝行する」と期待させてもいけないし、
 第一、身の回りのこまごまとした世話はできません。
 往復2,000円近くかかるし、
 時間も、乗り継ぎが悪いと片道3時間くらいかかってしまいます。

 そのように考え、母のことは弟に任せて、
 3日間集中して取り組みたい課題があり、ちょうどほかの用事も終わらせ、「さあ、全力投入」という初日の朝、弟からこんな電話がありました。

 「おかんがな、
  ○○さんに田んぼを頼みたいて言うとるんや。
  昔から誰かに頼もうと思てたんやけど、私もこんなになってしもて、
  ちょうどいい機会やから言うて。
  ほかに、なんかええ案あったら言うてな。
  おかんから電話をかけろて言われたから、かけたんや」

 何か、いろいろ怪しい。
 言葉の陰に隠れている、母のややこしい思いがありそう。
 もしかしたら、その結論を通すために落ちたのかもしれない。
 (わざとでも、無意識レベルだろうけれど)

 電話じゃなくて、直接面と向かって話をしないと、
 本当のところを探れないし、
 何かを伝えるにしても、面と向かってないと効果が薄い。

 とまでわかっていて、
 今日はたまたま時間がある。
 これで行かなかったら、きっと後悔する。

 と思ったのです。

 愛情かどうかはわかりませんが、
 「後で、後悔しないように」
 は、こういう意味あいで理解しています。

 感謝、お礼、謝罪、自分が引き受けていることの行動

 これらは、できるだけその時にその場で解消するようにしています。
 だから、今回のことも僕自身は「愛情」だと思うんだけどね。

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 弟は人のいい奴なんだけれど、足りないことがあります。
 それは、
 自分の頭で考えて行動すること。
 引き受けること。
 引き受けたことを喜んで実行すること。
 自信や自己肯定感。

 その結果、家のことは母からやらされていることだし、
 やらされていることだからお駄賃を欲しがるし、
 給料は自分の小遣いと思っていた。(いる?)

 その原因と結果として、母は、
 弟を怖がっている。
 家事を何もできないと思っている。
 指示したうちのほんのわずか以外は、野良仕事も何もできないと思っている。
 親戚づきあいのやるべきことや機微を何もできないと思っている。
 任せられないと思っている。
 親として子供に教えるべきことを教えていない。
 弟には、自分が「か弱い素振り」で何かをやらせようとしても思い通りのことをやってくれないのであきらめている。

 原因と結果として、現在進行中です。
 状況と結果、信念を強化しあっています。
(いつまでの他人が変わることを待つばかりで、別の結果を望まないし、行動もしないので、結果も変わりません。そして、思い込みが強化されています)

 で、その結果、母は「被害者」になり、
 もともとの「思い込み」を強化し、
 「思い込み」を前提とした未来しか描けず、
 身体を動かすと痛い状況がずっと続くと無意識に思っていて、
 その前提で、
 「早く決まって早く安心したい」
 と思っているようです。

 僕が

 「弟に教えることは考えんの?」
 「田んぼを頼むのはいいけれど、弟が一人でも田んぼをできるように教え込んでもらえるように、田んぼのいろいろなことを教えてもらうのはどう?」
 「何より、来年春の今度の田植えの時期に、まだ今の痛みが続いているように思っているみたいやね」

 と言っても、反応が薄く、全く理解できなかったようです。
 自分が出した結論以外は、耳を素通りするようになっているようです。

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 今、「耳を素通りする」と書きましたが、実は素通りではありませんでした。

 「なんでそんな結論を決めたん?」

 と質問したら、苦しい顔をした後で、質問の答えではない脇道の話を始めました。
 何度、元の質問に戻しても、答えられないようでした。

 おそらくですが、
 弟に対してひどく侮辱した思い、レッテル貼り、決めつけがあり、
 「それを口に出してはいけない」と子供の頃のしつけのせいか、
 身体が自動的に反応して、言葉にできなくなっているようでした。
 その証拠に口はパクパク小さく動いていました。
 (例えば、「あの子は頼りにならんが」とか)
 それをごまかすために、自分が期待するありもしないこと(嘘)を話します。
 もしくは、別の話をし始めます。

 一つの思い込みが、思い込みと矛盾しない完成した世界を創り出し、
 現実の解釈と選択肢がその世界に合うものだけにに狭まり、
 とても苦しくなり、
 他人のせいにした自分の被害者意識がより大きく育って、
 次の思い込みができて両方が強化されていっているように感じられました。

 『自分の毒に侵されている』

 そんな風に感じ取りました。

 「そんな思い込まないで、楽になったらいいのに。苦しいやろう?」

 と、前に言ったことがあったように記憶しています。
 反応はあったように覚えていますが、

 「弟がやってくれんから」
 「だって、あいつ怒りよるで!」
 「お前がやってくれんから」

 考え方の癖を変えるのは難しいものです。
 もちろん、本人がその気にならなければ何も変わりません。
 「その気」は、「意思」ではなく、
 「無意識の思い込み」レベルの話です。
 ただ、本気で変えようと思ったら、簡単に変わります。
 固く思い込んでいることに気づき、それを脇に置こうと決めればいいことです。

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 僕は「変わりなさい」とは言いません。
 あくまでも、
 「そんな思い込まないで、楽になったらいいのに。苦しいやろう?」

 そういえば、以前、こんなことも母に言ったことがあります。

   「コミュニケーションには、一生に一度でも構わないけれど、
    ”肚の底から覚悟を決めて” やらなきゃならない時がある。
    そういう時は、絶対に大丈夫」
   「だから、本気で、ケガしてもかまわないと思って、自分の本音を言ったら?」
とても個人的な実家の母との間の実話から、コーチとしての立ち方の話
http://core-infinity.sakura.ne.jp/being/
より)

 でも、現状、

 (母自身が)本気で向き合っていないし、
 (弟に)本気で向き合わせていないし、
 他人を思い通りに行動させるのは「自分のか弱さ」を出した時だけと思っているし、
 人の行動も人の結論も人の思いもあるんだろうけれど、すべて自分が決めなければならないと思っているし、
 それは、誰もやってくれないから「仕方ない」と思っている。

 やはり、自分の毒に自分でやられています。

 母にも幸せになってほしい。

 コーチングは、
 魚が獲れなくなった港町に
 魚を持っていくのではなく、
 新しい魚の獲り方を教えに行くのではなく、
 魚獲りじゃない別の生き方を教えに行くのではなく、
 自分の人生に真剣に向き合う人とともに、
 考えや話に制限が出てきたら、いったん制限を外すことを試すように促して、
 話を聞いてくことではないか。

 母に必要なことも、同じやね。